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前橋地方裁判所 平成4年(ワ)427号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金七四七七万四四七二円及びこれに対する平成四年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告が金六〇〇〇万円の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。

理由

【事実及び理由】

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金七九七七万四四七二円及びこれに対する平成四年一〇月二〇日(訴訟送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の設置する群馬大学医学部付属病院(以下「群大病院」という。)産婦人科に入院していた乙山春子(以下「春子」という。)が、同科医師の投与した鎮痛解熱剤インドメタシン(商品名インテバン座薬)によりアスピリン喘息発作を発症して死亡したとして、春子の相続人である原告が被告に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害金と遅延損害金を請求する事案である。

一  争いのない事実等(証拠等により容易に認定できる事実を含み、当該証拠等を括弧内に掲記する。)

1 関係者

原告とその亡夫甲野太郎の二女である春子(昭和三八年九月二二日生れ)は、群馬県立丙川女子高等学校卒業後、丁原大学医療技術短期大学部看護学科、戊田大学養護教諭特別別科をそれぞれ修了して、昭和六二年四月に藤岡市立甲田中学校の養護教諭となった。

また、春子は、平成二年二月一九日に乙山一郎と婚姻し、その後、妊娠して、分娩予定日を平成三年三月一二日とする妊婦であった。春子は、平成三年二月八日、入院先の群大病院で死亡した。

被告は、群大病院を開設し、医師をして診療業務に従事させているものであり、田村仁、中村学、小此木孝信、曽田雅之、宇井万津男らは産婦人科医師として、黒沢元博は内科医師として、いずれも被告に雇用され、群大病院において診療業務に従事していた。

(《証拠略》)

2 群大病院入院前の既往症等

(一) 春子には小児喘息の既往症はなく、高校時代には鼻が詰まる、鼻水が出るなどの症状が現れ、耳鼻咽喉科で治療を受けたことがあり、また、校医からは鼻中隔湾曲症と言われたことがあった。丁原大学医療技術短期大学部看護学科に入学した昭和五八年四月(一九歳)ころ、初めて春子に喘息の症状が現れ、戊田大学養護教諭特別別科在学中に喘息に罹患していることが明らかとなった。(《証拠略》)

(二) 養護教諭となった昭和六二年四月から婚姻した平成二年二月ころまでの間の春子の喘息の症状は、季節の変わり目や、かぜをひいたりした際、夜間に咳がでて床から起き上がり、やがて痰が出ると治まるというもので、発作は月二、三回の頻度で推移した。春子は高木病院(高崎市江木町所在)で治療を受け(昭和六二年一一月から平成二年二月まで)、上気道炎ないし気管支炎と診断されて、抗生物質、副腎皮質ホルモン配合抗アレルギー薬、鎮咳薬、去痰薬等のほか、総合感冒薬(ネオアムノール散)、酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤(ノブゲン(イブプロフェン))の処方を受けていた。また、春子は、市販のかぜ薬を服用しても身体に異常を生じなかった。

(《証拠略》)

(三) 婚姻した平成二年二月から同年四月ころまでの間の春子の喘息の症状は、概ね一日おきの頻度で夜間に三〇分から一時間程度の発作があったが、薬剤の服用もしないで治まっていたところ、妊娠してからは、徐々に症状が重くなり、咳き込む時間が長くなったり、発作の回数が増え、息苦しくなることもあった。

春子は、同年六月から同年八月の間、喘息治療のため黒沢病院(高崎市中居町所在)内科で治療を受け、同病院での問診では、薬剤に対するアレルギーはない旨を答え、気管支拡張剤、抗菌剤、鎮咳薬、抗アレルギー剤等の処方薬を受けていた。

また、春子は、同年七月から同年一一月までの間、喘息を合併している妊婦として国立高崎病院(高崎市高松町所在)の婦人科及び内科で治療を受け、気管支拡張剤、子宮収縮抑制剤、去痰剤、抗菌剤等の処方を受けた。なお、同年八月八日の内科外来診療録には、家塵に対するIgEは陰性との検査結果がある。

(《証拠略》)

(四) 平成二年九月ころから、春子は、昼間に軽い咳が出て、鼻水や痰も多くなり、夜間の喘息発作に苦しむようになった。また、同年一一月ころからは、毎日のように夜間から明け方にかけて一回程度の発作が起き、また、同年一二月中旬ころからは、毎日のように夜間と明け方に二回程度の発作が起きて、咳のほか、「ひゅうひゅう」というぜい鳴があり、息苦しいために床から起き上がって前かがみとなることがあった。

春子は、同年一一月二八日、同年一二月五日、同月二六日に喘息治療のため群大病院第一内科を受診し、喘息の専門医である黒沢元博医師(以下「黒沢医師」という。)の診察を受け、春子と被告との間で喘息治療を目的とする診療契約が成立した。右一二月二六日の診察では、気管支拡張剤(内服薬のブロンコリンを一日二回二錠ずつ、吸入薬のメプチン(プロカテロール)を一日四ないし六回吸入及び抗アレルギー剤(インタール)を一日四カプセルの処方を受けたが、右一一月二八日の診察の際に行われた問診では、薬剤に対するアレルギーはない旨を答え、同月二六日の診察時の喘息の状態は良好であった。

また、春子は、国立大学附属病院たる総合病院で専門的医師のいる群大病院産婦人科での検診、分娩を希望し、国立高崎病院の産婦人科医師の紹介を受けて、同年一二月二六日、群大病院産婦人科の田村仁医師の診察を受けた。ここに、春子と被告との間の診療契約の目的は喘息の治療に併せて出産も付加された。右紹介に際して作成された紹介状には、春子が喘息を合併し、骨盤位(いわゆる逆子)である旨が記載されていたが、骨盤位については、群大病院産婦人科での診察の際には既に自然矯正されていた。

以上のとおり、春子は喘息症状があったものの、養護教諭の職務に従事することができていた。

(《証拠略》)

3 群大病院産婦人科入院と治療経過等

(一) 入院経緯(《証拠略》)

春子は、平成三年一月九日(以下、単に月日が記載された場合、平成三年の月日を指す。)、群大病院産婦人科外来で田村仁医師により妊娠三一週の定期の妊婦検診を受けたが、その際、下腹部の張りが頻回である旨を訴え、内診により子宮口の拡大は認められなかったが、分娩監視装置による検査を受けたところ、頻回の子宮収縮(四〇分間に六回)が認められ、切迫早産と診断された。そこで、春子は、担当医の説明を受けて、同日、切迫早産と気管支喘息の合併症により、同科に入院した。主治医は右田村医師のほかに、本庄、小此木、屋内らの医師の担当となった。

なお、春子は、右入院の際の問診で、薬剤アレルギーがないこと、夜間に喘息発作があること、群大病院第一内科の黒沢医師により気管支喘息の治療を受けていることなどを告げ、右担当医も春子の入院中黒沢医師の往診を受けることとした。

入院した春子に対する治療計画は、子宮収縮抑制剤であるリトドリン(商品名ウテメリン)の点滴静注と臥床安静であった。

(二) 入院後の症状と治療(主として助産日誌による。《証拠略》)

[一月九日]

(症状)夕方 咳あり。咳に伴って腹部緊張あり。

ウテメリンの点滴静注により腹部緊張なくなる。

二〇時 息苦しさあるがラ音なし。子宮収縮なし。

咳嗽時に腹部緊張あり。

(治療)切迫早産について

ウテメリン五〇γ(ガンマ)の点滴静注(五%ぶどう糖液五〇〇mlにウテメリン一A(アンプル)を入れて、一時間当たり三〇mlを点滴)を開始。

喘息について

平成二年一二月二六日第一内科診察時の処方と同様

[一月一〇日]

(症状)三時 咳嗽激しく吸入実施。

咳に伴って腹部緊張あり。胎児心音は正常。

(治療)変更なし。

[一月一一日]

(症状)三時 咳嗽激しくあり。喘息発作一日八回(明方に集中して発作あり。悪化している)。

体動時に腹部緊張あり。胎児心音は正常。

二二時 ぜい鳴あり。

(治療)変更なし。

ただし、内服液のブロンコリンを服用していないことが判明し、これを服用するよう指示。

[一月一二日]

(症状)二時三〇分ころ 喘息発作あり。吸入実施。

一六時 発作様の症状あり。

体動時に腹部緊張あり。胎児心音は正常。

(治療)変更なし。

[一月一三日]

(症状)一時三〇分 吸入実施。

三時四〇分 咳嗽、息苦しさあり。

四時三〇分 吸入実施。

一七時三〇分 咳嗽あり。

体動的に腹部緊張あり。胎児心音は正常。

(治療)変更なし。

[一月一四日]

(症状)一時三〇分 咳嗽により座位になる。

五時 吸入実施。

夕方から咳嗽が増える。

一八時 腹部緊張がやや多くなる。

胎児心音は正常。

(治療)切迫早産について

二二時 宇井万津男医師の指示により、ウテメリン点滴静注を五〇γから七〇γ(五%ぶどう糖液五〇〇mlにウテメリン一Aを入れ、一時間に四五mlを点滴)へ増量。

喘息について

第一内科黒沢医師が診察して次のとおり処方を変更

ブロンコリン一日三回二錠ずつ、インタール吸入液ネブライザーで朝、夜二Aずつ、メプチンは就寝前に吸入可。

発作時にブリカニール、ネオフェリンを各一錠

[一月一五日]

(症状)夜間三時間ごとに咳がでる。

腹部緊張は減少。胎児心音は正常。

(治療)変更なし

[一月一六日]

(症状)六時三〇分 咳嗽あり。咳嗽に伴う腹部緊張あり。

胎児心音は正常。

(治療)切迫早産について

変更なし。

喘息について

第一内科黒沢医師が診察して次のとおり処方を変更

ブロンコリン一日三回二錠ずつ、インタール一日二回二カプセルずつ、メプチン一日三回(朝二吸入、夕方一吸入、就寝前二吸入)発作時にブリカニール、ネオフェリンを各一錠、ベコタイド(副腎皮質ホルモン剤)を一日二回(夕方、就寝前)各二回吸入

[一月一七日]

(症状)一時三〇分、四時一五分にメプチンの吸入実施。

夜間三時間毎に発作あり。昼間は軽い咳あり。

一〇時四〇分 五〇分間に七回の子宮収縮あり。

二〇時 腹部緊張あり。子宮収縮頻回(三、四分毎に子宮収縮)

(治療)切迫早産について

ウテメリンの増量

二一時 五%ぶどう糖液五〇〇mlにウテメリン一Aを入れ、一時間に六〇mlを点滴

二一時一〇分 右濃度の点滴を一時間に九〇mlに増量

二二時 五%ぶどう糖液五〇〇mlにウテメリン三Aを入れ、一時間に三〇ml点滴(一五〇γに増量)

[一月一八日]

(症状)二時 咳嗽あり。一時三〇分と三時にメプチンの吸入実施

四時、ナースコールあり。咳嗽続く。ぜい鳴あり。メプチンの吸入を二回行っても発作が治まらない。

六時 腹部緊張時折あり。胎児心音は正常。

(治療)変更なし。

[一月一九日]

(症状)三時四五分 ナースコール。喘息発作、ぜい鳴あり。呼吸延長。

一六時 ナースコール。メプチン吸入しても発作が続く。

腹部緊張時折あり。咳嗽あり。胎児心音は正常。発育順調。

(治療)発作時にブリカニール、ネオフェリン各一錠服用。

[一月二〇日]

(症状)夜間の発作なし。

胎児心音は正常。腹部緊張時折あり。

(治療)変更なし。

[一月二一日]

(症状)四時 咳あり。息苦しさあり。

腹部緊張時折あり。一時間に三回の子宮収縮あり。

胎児心音は正常。

(治療)発作時にブリカニール、ネオフェリン各一錠服用。

[一月二二日]

(症状)三時 ドクターコール。息苦しさ、軽度のぜい鳴あり。会話は普通にできる。

四時 せき込む。

一八時三〇分 一時間に一回の腹部緊張あり。咳嗽時折あり。

腹部緊張時折あり。胎児心音は正常。

(治療)発作時に吸入とブリカニール、ネオフェリン各一錠服用。

毎日明方に喘息発作があるので、予防的に零時にブリカニール、ネオフェリンを内服するよう指示。

[一月二三日]

(症状)四時 息苦しさあり。

七時 咳き込む。

午前中 腹部緊張増加

午後 腹部緊張減少。

二〇時三〇分 一時間に四、五回の腹部緊張あったが、一時間後減少。

(治療)切迫早産について

ウテメリン二〇〇γ(常用量の上限)に増量

喘息について

第一内科黒沢医師が往診して次のとおり処方を変更

ブロンコリンを朝五〇μg、一五時二五μg、就寝前七五μg、テオロングを就寝前に一〇〇mg、インタール一日四回まで吸入可能、喘息発作時にネオフェリン、ブリカニール服用

[一月二四日]

(症状)明方の発作なし。腹部緊張減少。六時三〇分の体温三六・五度。

一〇時三〇分 七〇分に五回の子宮収縮あり。

一三時 咳頻回あり。

一四時三〇分 腹部緊張時折あり。倦怠感、動悸あり。胎児心音は正常。

一五時二〇分 倦怠感増加。腰痛あり。体温三七・八度。

(治療)尿検査実施・異常なし。

(症状)一八時 倦怠感あり。左腰背部、上背部、肩に痛みあり。気管支粘膜圧迫感あり。一時間に二、三回の腹部緊張あり。体温三八・二度。

(治療)抗生物質ペントシリン過敏性の皮内テスト実施。結果は陰性。氷枕による冷罨。ペントシリン投与。

(症状)二〇時 体温三八・七度。胎児心拍数・毎分約一七〇回。産婦人科当直医(曽田雅之医師)が体温三九度以上ならインテバン座薬(インドメタシン)を投与するよう指示。

二一時 背部痛あり。腹部緊張増加。動悸、倦怠感あり。体温三八・六度

(治療)二一時二〇分 インタール吸入二A。

二一時二五分 曽田医師の指示で助産婦がインテバン座薬五〇mgを投与。

(症状)二二時 ナースコール。腹部緊張五分おきにあり。インテバン座薬投与後、腹部緊張が増加。下腹部痛あり。胎児心音毎分一八〇ないし一七〇回。

(治療)二二時一〇分 分娩監視装置装着

(症状)二二時一五分 腹部緊張二分おきにあり。二五秒発作あり。下腹部痛強くあり。

二二時二〇分 息苦しくて起座呼吸となる。

(治療)曽田医師が発作時のネオフェリン、ブロカニール服用を指示。

(症状)苦しくて水が飲めない。ラ音あり。

(治療)ラクテック五〇〇mlとネオフェリン一Aを点滴静注

(症状)二二時三〇分 口唇チアノーゼあり

呼吸困難著明。

全身チアノーゼ。

全身硬直。

胎児心音・毎分六〇ないし七〇回。

胸内苦悶。冷や汗著明。

呼吸停止。

心臓マッサージを行うが自発呼吸なし。脈ほとんど触れず。

意識消失状態となる。

(治療)酸素吸入。当直医中村学医師が無管内挿管を試みる。アンビューバックにてバギング開始するが空気の入りは不良。

呼吸停止後、麻酔科医師に連絡。

病室に到着した麻酔科医師が気管内挿管と心臓マッサージを実施。吸引。ウテメリン投与中止。

強心剤兼気管支拡張剤ボスミン、副腎皮質ホルモン剤サクシゾン、気管支拡張剤ネオフェリン、酸血症改善剤メイロン、副腎皮質ホルモン剤ソルメドロール、抗不整脈剤キシロカイン、強心剤イノバン等の投与

(症状)二三時一〇分 心拍回復。自発呼吸なし。子宮内胎児死亡。

(治療)二三時三七分 集中治療室へ転室

二月一日 死亡した胎児が自然分娩により娩出

二月六日 脳死と判定

二月八日 夫の乙山一郎、原告等の承諾を得て、積極的延命治療を中止。

一五時二五分死亡。

4 病理解剖(《証拠略》)

二月八日、春子の病理解剖が実施され、その死因は、気管支喘息発作による呼吸不全と診断され、他に死因となるべき所見は検出されなかった。

5 本訴請求に係る損害賠償請求権についての遺産分割協議(《証拠略》)

春子の相続人は、夫の乙山一郎と母親の原告のみであり、平成四年八月三一日、両者の間で、春子の本訴請求に係る損害賠償請求権を原告が全部相続する旨の遺産分割協議が成立した。

二 争点及びこれに関する当事者の主張

1  インドメタシンの投与と春子の死亡との因果関係(争点1)

(一)  原告の主張

アスピリン喘息とは、アスピリンを始めとするすべての酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤によって発作が誘発される喘息である。アスピリン喘息患者は、全喘息患者の一〇パーセント前後とされ、決して稀なものではない。

アスピリン喘息の臨床的特徴は、<1>重症難治例が多く、しばしばステロイド依存性である、<2>通年生発作が認められ、意識障害を伴うほどの大発作を経験している例が多い、<3>慢性副鼻腔炎、鼻茸の合併例が多い、<4>三〇歳代に喘息発作のピークがある、<5>性別では、女性にやや多い、<6>非アトピー性で、血清中の総IgEは低値、一般アレルゲンに対する皮膚反応はカンジタなどの真菌類を除いて陰性、小児喘息などのアレルギー疾患の既往歴が認められることは稀で、そのような家族歴も稀である(ただし、本症にアトピー性喘息、あるいは他のアトピー性疾患を合併している場合はその限りでない。)、とされており、その他の特徴として、まず鼻炎が先行し、数年後に喘息を発症し、その後、たまたま酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤を摂取したときに誘発されることによって本症に気づくことが多いとされる。

アスピリン喘息患者が誘発物質である酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤を摂取したときの発作の特徴は、第一に、摂取後、数分から遅くとも二時間以内に発症する点であり、第二に、強烈、重症な発作が来襲し、チアノーゼのみならず、意識消失、呼吸停止寸前に至るものが多く、時を逸すれば死亡することもあり、緊急に救命措置を要する点である。

インドメタシンも酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤であるところ、春子の既往症等、群大病院入院後の症状及びインドメタシン投与後の症状は、右アスピリン喘息の特徴を備えており、春子は、インドメタシン投与によるアスピリン喘息発作を発症し、呼吸不全により死亡したものというべきである。

よって、インドメタシンの投与と春子の死亡との間には因果関係がある。

(二)  被告の主張

春子は、一月二四日午後九時二五分にインテバン座薬(インドメタシン)を挿入され、同日午後一〇時二〇分に突然「息苦しい」と訴えて起座となったが、この五五分の間、春子には喘息の兆候を示す訴えがなく、春子の呼吸不全は、何の前触れもなく起こった。ところで、薬剤による喘息発作においては、通常、薬剤の服用後、当該薬剤の血中濃度の上昇に伴い、何らかの兆候が現れるものである。してみると、春子に出現した喘息発作は、薬剤による喘息発作とは発症類型が異なっている。

また、春子の呼吸不全兆候から呼吸停止、心停止に至るまでの経過は、喘息発作によるものとしては特異なほど急激である。すなわち、助産日誌には、春子が初めて息苦しさを訴えてから呼吸停止に至るまでの時間を一〇分間とされているが、緊急事態においては、その都度時刻を正確に記載し得るものではなく、実際は、言葉を発することができないほどの呼吸不全症状が現れてから呼吸停止するまで、せいぜい一、二分間程度であったのであり、このような症状の急変は、臨床症状としては、喘息発作の経過とは異なる。

そして、インドメタシン使用前から、春子には発熱、頻脈などの症状が現れ、炎症症状に罹患していたことが明らかであって、この炎症症状が次第に増悪し、頻回の子宮収縮や気管支収縮を引き起こした可能性も否定できない。

よって、インドメタシンの投与により、春子を心停止に至らしめるような呼吸不全が誘発されたと認めるには疑問が多く、インドメタシンの使用と春子の死亡との間の因果関係は不明といわざるを得ない。

2  被告の責任

(一)  インドメタシン投与に際しての曽田医師の過失及び被告の診療義務違反

(争点2)

(1) 原告の主張

春子は喘息患者であったところ、喘息患者のうちには一〇パーセント前後のアスピリン喘息患者がおり、かつ、問診によってはその約半数しか判別し得ないのであるから、たとえ春子が問診において薬剤アレルギーがない旨を述べていたとしても、春子がアスピリン喘息である余地は多分にあり、同人に強力な酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤であるインドメタシンを投与すれば、急激かつ重篤なアスピリン喘息発作を引き起こす危険があった。そして、インドメタシンはアスピリン患者に禁忌とされ、その他の喘息患者に対しては慎重投与とされていたのであるから、曽田医師は、右発作の危険性を予見することができたというべきである。

したがって、右危険を侵してまで投与するほどの必要性がなければ、これを投与すべきでなかったところ、春子の発熱については、まずその原因を調べ(尿検査だけが実施されたが、それだけでは足りない。)、原因に対する対処を検討すべきであったし、そもそも春子の発熱(三八・六度)の程度では解熱剤を使用する必要性もなかった。また、解熱の方法として氷枕で頭部を冷やすだけでなく、氷のうを用いることや脇の下を冷やすことなどの方法も考えられた。そして、仮に解熱剤を用いるとしても、より危険の少ないアセトアミノフェンを選択すべきであったし、仮にインドメタシンを投与するにせよ、内科医に相談するなどしてその意見を聴取し、投与を決断しても徐々に投与量を増やし、経過観察しながら常用量を投与するべきであった。

また、前記のとおり喘息患者にインドメタシンを投与する場合には、相当高頻度に喘息発作が誘発され、その発作は急激な大発作となる可能性があるから、発作が誘発されれば、処置如何では死亡しかねないことを予想して、十分な経過観察のほか、内科医師及び麻酔科医師を待機させておくこと、呼吸困難に備えた器具等を用意しておくことなど、発作に備えた準備をしておかなければならない。しかるに曽田医師は、これらの準備を怠った。

よって、春子にインドメタシンの投与を指示した曽田医師には、喘息患者に対して慎重投与とされるインドメタシンの使用上の注意義務に反してこれを投与した過失があるといわざるを得ない。

なお、被告は、曽田医師は産婦人科医師であるから、産婦人科医師の医療水準を問題とすべきであるとするが、春子は、切迫早産と気管支喘息の合併症として群大病院に入院したのであり、実際、気管支喘息については同病院第一内科の治療を受けていたのであるから、産婦人科医師としての医療水準でなく、群大病院の医療水準、すなわち人的にも設備的にも充実し、高度な医療を実施できる総合病院としての医療水準を前提として過失を検討すべきである。

(2) 被告の主張

アスピリン喘息については、医学界で広く公に認められている一般的な診断基準は存在せず、その病態の全体像はいまだ医学的に解明されていない。

臨床的にアスピリン喘息とされる患者の発症までの一般的な特徴は、既往症として喘息症状を有しているものの、鎮痛解熱剤の服用により喘息発作が誘発された経験のない者が、あるとき(おおむね三〇歳を超えてから)鎮痛解熱剤の服用によって喘息の大発作を起こし、それによってアスピリン喘息であると臨床的に診断されるという症例がほとんどを占め、既往症として喘息発作を起こしたことがない者や鎮痛解熱剤の服用によって初めて喘息発作が誘発されたという例は非常に稀であるという点にある。

したがって、喘息の既往症がある患者は、いつか鎮痛解熱剤によっても喘息が誘発されるようになる可能性を有しており、それがいつの時点になるかも事前にはまったく予想できない。そのため、アスピリン喘息か否かの診断に際して用いられることのある酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤等による発作誘発試験の臨床的意義ないし有効性については医学界にも定説がなく、結局、現状においては、臨床的にある喘息患者に鎮痛解熱剤を投与する必要性が生じた場合には、その患者にアスピリン喘息の既往症があるかどうか、すなわち過去に鎮痛解熱剤によって喘息発作が誘発されたことがあるか否かを詳細かつ適切に問診して、アスピリン喘息の既往がないことを確認し、慎重に投与する以外に方法はない。

群大病院における春子に対する問診は、第一内科外来の初診時、産婦人科外来の初診時、産婦人科入院時及び一月二四日の抗生剤ペントシリン投与に当たっての事前の皮内テストの際にそれぞれ実施され、薬剤に対する過敏性の既往がないことを確認している。特に、第一内科外来初診時の問診では、喘息の専門医である黒沢医師がアスピリン喘息の可能性を判断するために非ステロイド系消炎鎮痛剤による喘息発作ないし喘息増悪の既往がないかを聴取していた。

したがって、曽田医師が春子にインドメタシンを投与した一月二四日の時点において、春子がアスピリン喘息であること、すなわち、鎮痛解熱剤によって喘息の大発作が不可避的に誘発される喘息患者であると疑うに足りる合理的な理由はなかった。

春子は、一月二四日の昼過ぎから、咳嗽が頻回となり、鼻汁もみられていたところ、午後三時には体温三七・八度の発熱となり、また、背部痛を訴え、午後六時には三八・二度に体温が上昇し、気道の圧迫感と息苦しさ及び頻繁な子宮収縮を訴えた。そのため、担当医は、子宮内感染又は気道感染を疑い、氷枕によるクーリング、抗生物質(ペントシリン)の投与及び水分補給のための点滴を行った。その後、午後八時の回診時には、体温三八・七度、脈拍数毎分一二三回となり、午後九時には体温三八・六度、脈拍数毎分一五〇回となって、背部痛、動悸、倦怠感及び頻回の子宮収縮を訴え、胎児にも頻脈が認められた。このように、一月二四日午後から始まった春子の発熱を伴った頻脈は、氷枕によるクーリングや点滴が開始されて約三時間を経過した午後九時になっても一向に好転する兆候がなく、脈拍数は心不全のおそれが生じるほどの頻脈状態を呈していた。また、胎児にも頻脈が認められ、頻回の子宮収縮によるストレスも加わって、妊娠三二週という未熟な胎児にとっては危険な状態であった。

したがって、同日午後九時前後の段階において、母児共に非常に危険な状態にあり、母児を救うため、春子に対し、急速に炎症を抑えて解熱させ、かつ、子宮収縮を抑制するための治療が必要であると考えられたところ、既に解熱のための治療としてクーリング及び抗生物質の投与がなされ、また、子宮収縮抑制剤としてのウテメリンは常用量の上限まで使用されていたことから、曽田医師は、急速に炎症及び子宮収縮を抑制するため、新たな合目的薬剤としてインドメタシンを選択したのである。

ところで、特殊かつ緊急な治療を必要とする場合には、医師は、患者との間で合意された治療目的の範囲内であれば、一般的、常識的には採用されない治療方法で、確率的には一定の危険の発生が否定し得ないものであっても、それ以上の治療効果が合理的に期待し得る方法を選択するという裁量が許されているというべきである。

曽田医師は、春子及び胎児に対する危険の切迫性、緊急な治療の必要性、インドメタシンの薬効及び患者に対する危険性、薬剤過敏性の既往についての問診結果等を総合的に判断して、早産を防止し、妊娠を継続させるという、春子との間で合意された入院目的を達成する上で医師に許容された合理的な裁量の範囲において、インドメタシンの使用を選択したのであり、これが曽田医師の過失とは到底評価し得ない。

また、喘息患者に解熱剤を投与した場合には、投与後の経過観察を怠ることがなければ、たとえ解熱剤によって喘息発作が誘発されたとしても、通常、医師であれば誰もが身に付けている基本的な救急処置による初期治療により十分対応可能である。すなわち、喘息発作が誘発されたという緊急の場合であっても、発作の兆候を感じた患者からの主訴に基づき、担当医が応急措置を行いつつ、速やかに内科医、麻酔科医等の専門医に連絡してその応援を得ることができれば、救命のための治療を行う時間的余裕は十分にある。

前述のとおり、春子にはアスピリン喘息であることを疑うに足りる合理的な理由は存在していなかったのであるから、春子が呼吸不全の症状に陥る前に、内科医、麻酔科医等に連絡して、その待機を求める必要性はなく、これが必要であったとする原告の主張は失当である。

また、群大病院では、一般の大学医学部付属病院と同様に、各科に当直医が待機しており、緊急の場合には直ちに病室に急行し得る体制を採っていた上、特に産婦人科においては、喘息の合併症のある患者が入院している場合、緊急の事態に備えて気管内挿入チューブ、人工呼吸用バッグ等の蘇生の道具及び薬剤を病室の廊下に常に用意していたのであるから、発作に備えた準備は十分であって、この点に関しても曽田医師に過失はない。

仮に、インドメタシンの投与が診療契約上の義務違反であったとしても、曽田医師は産婦人科医師であり、当時、産婦人科医師がアスピリン喘息の病態及び発作の重篤性を認識することは期待できなかったこと、アスピリン喘息の確定診断ができないため、春子のアスピリン喘息の罹患の可能性を認識することが極めて困難であったことを踏まえると、曽田医師には過失がないというべきである。

原告は、春子がアスピリン喘息であった可能性を否定できなかったのであるから、春子のような切迫早産の症状を持つ喘息患者に対する解熱剤としては、より危険性の少ないアセトアミノフェンを使用すべきであったと主張するが、前述のとおり、春子がアスピリン喘息である可能性はほとんど考えられなかった上、アセトアミノフェンは、インドメタシンに比して炎症を抑える効果が弱く、子宮収縮抑制効果をまったく期待できない薬剤であるから、早急に解熱させ、かつ、子宮収縮を抑制させるためには適格性を欠いており、右主張は失当である。

(二)  インドメタシン投与後の措置についての曽田医師の過失及び被告の診療義務違反(争点3)

(1) 原告の主張

曽田医師は、インドメタシン投与後、これによる急激な喘息の発作が発症する恐れを意識せず、切迫早産と発熱を主目的とする経過観察にとどまったため、春子が息苦しいとして起座呼吸となった時点でこれを大発作の徴候として認識することができず、麻酔科医師への応援要請をしないままチアノーゼが現れるまでの貴重な時間を無駄にし、通常の喘息発作用の内服薬を投与しようとするにとどまった。また、呼吸困難が著明となった時点で、強心剤ボスミンを注射することをせず、気管支拡張剤ネオフェリンを静注しなかった。さらに、アスピリン喘息では禁忌とすべきコハク酸塩のステロイドホルモン剤のサクシゾン、ソルメドールを使用した。

(2) 被告の主張

曽田医師は、インドメタシン投与後、当直の助産婦に春子の病状について、綿密に経過観察をさせ、逐一、これを報告させていたのであるから、インドメタシン投与後の経過観察について曽田医師に過失はない。

春子が呼吸困難症状を呈した後の治療措置についても、以下のとおり、曽田医師には過失がない。

すなわち、曽田医師は、春子が起座呼吸となると直ちに助産婦からその旨報告を受け、喘息発作を抑える内服薬の服用を指示し、その内服薬を嚥下できないとの報告を受けると、直ちに気管支拡張剤の点滴を指示して春子の病室に駆け付け、副腎皮質ホルモンの点滴、酸素吸入等の準備に着手している。

春子は、呼吸停止に至る直前までは発話が可能であり、そうであれば、春子の喘息発作はいまだ重篤な喘息発作ではなかったというべきであり、これに対するものとして右治療措置は何らの落ち度がない。

そして、春子が呼吸停止状態となってからの治療措置についても、次のとおり、過失はない。

すなわち、曽田医師らは、呼吸停止状態となった春子を直ちに仰向けに寝かせて舌根沈下の予防措置を行い、結果として春子の突発的な呼吸停止による全身硬直により肺への空気の入りは不良であったものの、駆け付けた他の産婦人科医師(中村医師)と共に蘇生を図るべく気管内挿管を試みたのであり、応急の救命措置として非難されるべき点はない。そして、春子の呼吸停止後、速やかに麻酔科医に連絡され、駆け付けた麻酔科医師が人工呼吸と心臓マッサージを開始し、さらに強心剤兼気管支拡張剤であるボスミンを大量に投与しているのであり、診療機関の態勢としても、医学的な蘇生措置としても何ら落ち度はない。

結局、本件は、春子の喘息発作が発話可能な状態からわずか一、二分後に突然呼吸停止に至るという、喘息発作では通常起こり得ない予想を超えた急激な症状の進展によりもたらされた不幸な結果に過ぎず、これを曽田医師の過失に基づくものとすることはできない。

3  損害(争点4)

(一)  原告の主張

春子の死亡による損害は金七九七七万四四七二円であり、その内訳は以下のとおりである。

(1) 逸失利益 四一五七万四四七二円

春子の死亡する前年の平成二年の収入三四六万一二八〇円

労働能力喪失期間 四〇年(六七歳-二七歳=四〇年)

ライプニッツ係数 一七・一五九〇

生活費控除 三〇パーセント

(計算式)3,461,280×(1-0.3)×17.1590=41,574,472

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

春子は妊娠し、出産が近かったことを考慮すると金三〇〇〇万円が相当である。

(3) 葬儀費用 一二〇万円

(4) 弁護士費用 七〇〇万円

弁護士費用としては、以上の合計額の約一割に相当する金七〇〇万円が相当である。

(二)  被告の主張

原告の主張する損害は、いずれも争う。

第三 《証拠関係略》

第四 当裁判所の判断

原告は、診療契約の債務不履行と不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償を選択的に請求するものであるから、まず、不法行為に基づく請求について判断する。

一 インドメタシン及びアスピリン喘息の医学的知見

《証拠略》によれば、争点1ないし3の判断の前提となるインドメタシン及びアスピリン喘息についての医学的知見については、次のとおりであり、これは平成三年当時も同様であったものと認められる。

1  アスピリン喘息は、酸性解熱鎮痛薬(酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤)によって発作が誘発される喘息であり、成人喘息患者の約一〇パーセントを占めるとされている。

2  アスピリン喘息発作の一般的な臨床像は、鎮痛解熱薬やその類縁物質の服用後三〇分から一時間後に、顔面や全身の紅潮、眼瞼結膜や鼻粘膜のうっ血、咽頭違和感、鼻汁、咳嗽などが現れ、ついで気道収縮によるぜい鳴(喘鳴)及び呼吸困難(喘息発作)が出現し、その後五分間程度の間に急激に悪化して大発作となり、チアノーゼ、意識喪失に至ることがあり、更には死亡することもある。

3  アスピリン喘息患者の臨床的特徴としては、<1>重症難治例が多く、しばしばステロイド依存症である、<2>喘息発作が通年性に認められ、意識障害を伴うほどの大発作を経験していることが多い、<3>慢性副鼻腔炎、鼻茸の合併例が多い(なお、慢性副鼻腔炎、鼻茸を発症する前に、初発的症状として鼻炎症状がある。)、<4>中年になってから発症することが多く、三〇歳代に喘息発症のピークがある、<5>男性よりも女性の方がやや多い(約二対三の割合)、<6>非アトピー性で、血清中の総IgEは低値、一般アレルゲンに対する皮膚反応はカンジタなどの真菌類を除いて陰性、血清中の各種の抗原に対する特異的IgEは陰性、小児喘息などのアレルギー性疾患の既往歴が認められることは稀(ただし、アトピー性喘息、あるいは他のアトピー性疾患を合併している場合はその限りでない。)などが挙げられる。

4  アスピリン喘息患者には、ある種の酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤では喘息発作を誘発されないものの、他の種類の酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤では誘発される者があるほか、かつてある特定の酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤を服用して喘息発作を誘発しなかった者が、後に同一の酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤によって誘発されるようになることもある。

5  アスピリン喘息を診断するには、問診により、過去に酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤によって喘息発作が誘発された経験があるか否かを調査することが重要であるが、問診で確認できるのは、全アスピリン喘息患者の半数程度にとどまり、問診以外の診断方法として負荷試験(誘発テスト)も提唱され、その意義も一般には認められているが、効果を疑問視する見解もある。

6  インドメタシンは、酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤であり、アスピリン喘息発作の誘発物質として、その作用が強力なものとされている。一九八九年(平成元年)五月改訂のインテバン座薬の添付書類(使用説明書)には、<1>効能・効果として、手術後の炎症及び腫脹の緩和、慢性関節リウマチ、変形性関節症の消炎、鎮痛作用、<2>用法・用量として、成人一回二五ないし五〇mg、一日一ないし二回直腸内に投与、<3>禁忌項目として、アスピリン喘息患者、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人(動物実験で催奇形性が報告されているため妊婦には投与しないとする。)等、<4>慎重投与項目として、気管支喘息患者等がそれぞれ挙げられているほか、<5>副作用として、まれにショック症状が現れるので、経過観察を十分行い、冷汗、顔面蒼白、呼吸困難、血圧低下等の症状が現れた場合には投与を中止し、適切な治療を行うこと、またまれに喘息発作等の急性呼吸障害、そう痒、蕁麻疹、血管神経性浮腫、脈管炎等の過敏症状が現れることがあるので、このような症状が現れた場合には投与を中止すべきことが記載されている。

7  インテバン座薬を常用量投与した場合、インドメタシンの血中濃度は、約一時間後にほぼ最高濃度となり、この値が約二時間後まで持続する。

8  アスピリンの服用によって誘発される激しい呼吸困難については古くから知られていたが(一九一〇年代から報告がある。)、インドメタシン投与によるアスピリン喘息の発症例については一九六七年(昭和四二年)に外国での報告があり、本邦においては、一九七二年(昭和四七年)に群大病院第一内科医師らにより最初の報告がされ(「アレルギー二一」)、その後、本件事故当時までに相当数の医療機関や研究者らによる報告があり(一九七七年(昭和五二年)「日本内科学会雑誌」、一九八〇年(昭和五五年「北勤医師」、一九八三年(昭和五八年「埼玉」医科大学雑誌、一九九〇年(平成二年)「最新医学」等)))、アスピリン喘息については医師国家試験にも出題されたことがあった。

二 インドメタシン投与と春子の死亡との間の因果関係(争点1)について

1  前記争いのない事実等にみるとおり、群大病院産婦人科入院後の春子の喘息症状は、一月二三日の夜から同月二四日二二時ころまでの間はそれまでよりも落ち着いた状況にあったが(なお、一月二三日に往診した黒沢医師の証言によれば、春子の喘息症状は、同日が最も良好であったとされ、また一月二四日に春子の病室を訪れた原告は、同日、春子に喘息症状がみられなかった旨述べている。)、インドメタシンが投与されてから約五五分経過後の二二時二〇分に息苦しいと起座呼吸となったのち、これまでになかった急激かつ激烈な発作が現れ、二二時三〇分には呼吸困難著明となり、全身チアノーゼ、全身硬直、呼吸停止、意識消失、心停止となったのであり、これは、アスピリン喘息発作の臨床像(前記一2)に極めて類似している。

2  春子の病理解剖による死因(気管支喘息発作による呼吸不全)は、春子の発作がインドメタシンによるアスピリン喘息発作であると仮定しても矛盾するところはない。また、春子に対して投与されたインテバン座薬は常用量の五〇mgであったところ、インドメタシン座薬を常用量投与した場合のインドメタシンの血中濃度の推移(約一時間後に最高濃度となる。前記一7)と春子の喘息発作の発症時刻との間にも矛盾がない。

3  春子は、かつて高木病院において酸性非ステロイド性消炎鎮痛剤であるノブゲン(イブプロフェン)を処方されたことがあったが、春子が同剤を服用してアスピリン喘息発作を発症せず、インドメタシンによって初めて発症したものとしても、医学的知見(前記一4)との矛盾はない。

4  春子については、通年性の喘息発作があったこと、小児喘息の既往症はなかったこと、死亡時二七歳と発症のピークである三〇歳代に近かったこと、女性であること、国立高崎病院で家塵に対するIgEは陰性との検査結果があること、以前から鼻水が多いなど鼻炎の症状もみられたことなど、アスピリン喘息患者の臨床的特徴(前記一3)に整合的なものがみられる。

5  以上の諸点にインドメタシンの投与によるアスピリン喘息発作以外に春子の死因につきこれを認めることのできる的確な証拠のないことを総合すれば、春子は、インドメタシンの投与によりアスピリン喘息発作を発症し、呼吸困難となって死亡したと認めるのが相当であり、インドメタシン投与と春子の死亡との間に因果関係を肯定できる。

6  被告の主張する、<1>何らの兆候なしに呼吸不全が起きたこと、<2>呼吸不全の出現から呼吸停止に至るまできわめて短時間であったことが右因果関係を否定する根拠とならないことについては既に判示のとおりであり、また、<3>炎症症状の憎悪により気管支収縮を起こした可能性についてもこれを窺わせる的確な証拠はなく、いずれも採用できない。

三 インドメタシン投与に際しての過失(争点2)及び投与後の措置についての過失(争点3)について

1  過失判断に必要な事実及び医学的知見等については以下のとおりである。

(一)  曽田医師のインドメタシン使用目的について

春子は、一月二四日午後三時には体温三七・八度の発熱となり、背部痛を訴え、午後六時には三八・二度に体温が上昇し、気道の圧迫感と息苦しさ及び頻繁な子宮収縮を訴えた。そこで、氷枕によるクーリング、抗生物質(ペントシリン)の投与及び水分補給のための点滴が行われたが、午後八時には体温三八・七度、脈拍数毎分一二三回(通常七〇回程度であるが、ウテメリンを静注した場合一〇〇回前後となる。)となり、午後九時には体温三八・六度、脈拍数毎分一五〇回となって、背部痛、動悸、倦怠感及び頻回の子宮収縮が現れ、胎児にも頻脈傾向(通常一四〇回程度であるが、一七〇回前後となる。)が認められた。なお、春子には子宮収縮抑制剤としてウテメリンが投与されていたが、当時、その常用量の上限まで投与されていた。このような経過の下、当直医の曽田医師は、母児共に危険な病態と判断し、解熱と子宮収縮抑制目的でインテバン座薬の投与を選択した。(《証拠略》)

(二)  妊婦に対するインドメタシンの投与、解熱目的での使用について

前記一6のとおり、インテバン座薬は、その添付書類では、動物実験で催奇形性作用が報告されているとして、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には禁忌とされているが、インドメタシンにはプロスタグランジン合成阻害作用による強い子宮収縮抑制効果があるため、切迫早産の治療に有用との報告もあり(《証拠略》)、妊婦である春子に対しては、妊娠週数、投与期間、及びウテメリンが常用量の上限まで使用されていた状況に照らして、絶対的禁忌とはいえない。

また、インテバン座薬の添付書類には、その効能として解熱が挙げられてはいないものの、薬理作用として解熱効果が記載され、インドメタシンを解熱目的で使用することも絶対的に不適切とはいえない。

(《証拠略》)

(三)  アセトアミノフェンについて

アセトアミノフェンは、アスピリンにアレルギー反応のある者の鎮痛、解熱のために有用とされるが(《証拠略》)、子宮収縮抑制作用は期待できず(《証拠略》)、また、アスピリン喘息患者に対しての安全性は確立されていない。

なお、アスピリン喘息患者に対する鎮痛解熱剤としては、塩基性非ステロイド系鎮痛解熱剤の投与が可能とされるが、その効果は少ない。

(《証拠略》)

(四)  喘息患者に対するインドメタシンの投与について

(1) 喘息患者に対するインテバン座薬の投与については慎重投与とされているところ、「慎重投与」の意味は、薬事行政上も明確化はされていないものの、慎重投与項目と指定されている項目につき投与が許される場合としては、<1>代替薬がない場合、<2>慎重投与項目に対する問題点を考慮してもこれを凌駕する他の作用における卓越性が期待される場合、<3>問診などにより当該薬剤に対して過去における重大な副作用がない場合で、かつ<4>患者側の承諾が得られた場合が挙げられ、なお、リスクよりも効用が上回る場合には、緊急事態に備えた万全の体制を整えた上で投与することも許されるとされている(《証拠略》)。

(2) 春子にインドメタシンが投与された状況を前提とすれば、喘息専門医なら、当然に、アスピリン喘息患者である可能性を認識し、同座薬の投与を極力避けようとする。(《証拠略》)

(3) 右(一)、(二)及び(四)(1)等の点を考慮すれば、喘息患者の妊婦に対する産婦人科医師のインテバン座薬投与について、その裁量の余地が全くないということはできない。

しかし、既に判示のように、成人喘息患者の一割はアスピリン喘息であり、インテバン座薬の使用説明書において、喘息患者に対しては慎重投与、アスピリン喘息患者に対しては禁忌とされ、インドメタシン投与によるアスピリン喘息発作については本件事故以前に群大病院を始めとする複数の報告例があり、アスピリン喘息についても既に医師国家試験に出題されるなどしていたものであるから、産婦人科医師であっても、喘息患者にインドメタシンを投与するときには、アスピリン喘息発作の可能性を検討すべきであった(現に、曽田医師はその証言中で、インドメタシンによるアスピリン喘息発作を知っており、春子の場合も一ないし二パーセントは予測したともいう。)。

そして、気管支喘息の持病を有する妊婦が切迫早産の恐れで総合病院に入院し、同一病院で喘息治療のため内科医師の往診も受け、喘息治療も入院の目的の一つとされている場合で、インドメタシンの投与が一刻を争う事情も、内科医師の意見を聴取することが著しく困難であった事情も見あたらないときには、少なくともインドメタシンを投与する際には、内科医師の意見も聴取して、これを検討資料の一つとして投与の可否を決定すべきである。

この点について、黒沢医師、群大病院産婦人科医師安藤一道、同鹿沼達哉、同高木剛は、春子がアスピリン喘息であることを予見することは困難であり、春子には発熱、頻回の子宮収縮、春子及び胎児の頻脈傾向などの危険な病態があり、十分な経過観察の下、産婦人科医がインドメタシンを投与するのは、産婦人科医の裁量の範囲であるとする(《証拠略》)。しかし、既に判示の諸点及び右各医師がいずれも被告に雇用され、群大病院に勤務するものであることを考慮すると、右黒沢医師らの意見につき、右判断と異なる部分についてはこれらを採用することはできない。

(五)  負荷試験(誘発テスト)について

アスピリン喘息の診断方法としての負荷試験については、発作を誘発する危険があるが、負荷量を漸増することで危険は軽くなり、患者の自覚症状、他覚症状を注意深く観察し、発作発現時に適切な処置をすれば、重篤な結果には至らないとされ、インドメタシンによる負荷試験では、服薬後最低一時間半から二時間までは経過観察を必要とするとされる。(《証拠略》)

(六)  アスピリン喘息発作が誘発された場合の処置について

鎮痛解熱剤によりアスピリン喘息発作が惹起された場合の処置としては、意識障害を伴うような重症発作の場合には、まずβ刺激剤であるエピネフィリン(ボスミン)一〇〇〇倍液の〇.二ないし〇.六mlを皮下注射し(なお、エピネフィリン注射が有効な場合は発作がある程度寛解するまで一五ないし二〇分間隔で反復して使用する。)、座薬が使用された場合には浣腸して薬剤を排泄させ、直ちに血管を確保してアミノフィリンの点滴静注を行い、次いで副腎皮質ステロイド剤を点滴静注し、吸入薬が末梢気道まで到達し得るようになれば、β刺激剤を吸入させる。さらに重篤な発作の場合には、気管内挿管、人工呼吸管理が必要であるが、重症呼吸不全時の挿管、人工呼吸装置の装着には、ときに危険を伴うので、緊急処置としてやむを得ない場合を除いて、複数の経験のある専門医により行うことが望ましい。(《証拠略》)

(七)  春子の救命可能性について

喘息患者にみられる意識障害は、換気不全による高二酸化炭素血症によるもので、その後、急速に呼吸停止、心停止に移行する。救命救急処置の十分な経験のある麻酔科医師あるいは救急医において、軽度の意識障害をきたしている喘息患者に救命措置を実施した場合は、ぼぼ一〇〇パーセントの割合で救命可能であり、重度の意識障害の場合でも脈が触れる患者では九〇パーセント程度が救命可能である。したがって、喘息患者において、意識のあるうちに適切な治療が開始されればもちろん、意識障害が出た後であっても、高度の循環不全に陥る前に適切な治療が開始されていれば、極めて高い確率で救命され得る。

春子に対しては、一月二四日午後一〇時二〇分の時点で、短期間に呼吸停止に至ることを予見し、その時点で麻酔科医師の応援を要請し、あるいは救急蘇生用具の準備をするなどしていれば、一〇〇パーセントに近い確率で救命され得たと考えられる。

(《証拠略》)

2  考察

(一)  以上により考察する。

まず、原則としては、喘息患者である春子に対して、重篤な結果を招来する恐れのあるアスピリン喘息の発症の可能性を持つインドメタシンを投与することは極力避けるべきであったといえよう。

そして、春子に対する問診の結果では、同人に薬剤アレルギーを窺わせる回答がなかったこと、他の薬剤を使用してもなお処置を必要とした春子及び胎児の病態等を考慮すれば、産婦人科医師の裁量による投与の余地も考えられるところであるが、既に検討してきた諸点をも勘案すれば、以下に検討するとおり、これを無条件で肯定することは困難である。

すなわち、アスピリン喘息は成人喘息患者の一割を占め、問診によって確認されるのはその半数に止まるものである上に、インドメタシンによりアスピリン喘息発作が誘発された場合、その発作は急激に悪化し、激烈なものとなる可能性があり、まして春子は妊婦であり、胎児の生命にも配慮しなければならなかったのであるから、これを投与するに際しては次の点に配慮すべきであった。<1>重篤な結果を招来する可能性を持つ治療行為であるから、患者に対してこれを説明してその同意を得るべきであり、<2>投与量を漸増させる方法をとるべきであり、<3>アスピリン喘息発作の発症の兆候につき厳重な経過観察をすべきであり、<4>経過観察に際しては、他覚症状のみならず自覚症状も重要な資料となるから、春子に対してインドメタシンを投与する旨告知して自覚症状を申告させるべきであった(春子は群馬大学医療技術短期大学部看護学科を卒業し、かつ、養護教諭であったから、医療知識も通常人以上にあると考えられ、適切な自覚症状の申告を期待できたであろう。)。そして、<5>アスピリン喘息の急激かつ激烈な発作に備えて、事前にエピネフィリン(ボスミン)の皮下注射等の準備のほか、呼吸困難に陥った場合に備えて、気管内挿管や人工呼吸等の器具を準備点検した上、<6>何らかのアスピリン喘息発作を疑わせる兆候が観察されたときは、直ちに気管内挿管等救急医療を専門とする麻酔科医師に連絡するなどして、その応援を仰ぐなどするべきであったといえる。

(二)  本件経過についてみるに、前記争いのない事実等及び《証拠略》によれば、以下のとおりである。

(1) 曽田医師は、同病院第一内科の黒沢医師(喘息の専門医)の治療をも併行して受けていた春子に対し、インドメタシンを投与するに際して、黒沢医師あるいは同病院第一内科医師の意見を求めることをせず、春子に対して、インドメタシンの投与に伴う危険性を説明したり、投与後は自覚症状を申告するよう注意を与えたりしていない上、その投与方法は、漸増させながら投与するものではなく、常用量の五〇mgを一回に投与した。また、曽田医師は、インドメタシン投与後の経過観察について、これを担当することとなる助産婦に対し、アスピリン喘息発作を警戒すべく、その兆候を注意深く観察するよう指示することもなかった。

(2) 春子の病室近くの廊下に置かれた緊急カート内には、気管内挿管チューブ、バッグ、コネクター等の気管内挿管器具が用意されていたが、曽田医師は、アスピリン喘息発作が発症することを想定しておらず、これら気管内挿管器具の点検をしなかったため、春子への気管内挿管時にコネクターをみつけることができず、直ちに気管内挿管に着手できなかった。

(三)  ところで、春子のアスピリン喘息発作の兆候を振り返ってみるに、ナースコールのあった一月二四日午後一〇時の時点で、インドメタシン投与後に、下腹部の張りが増加していることが観察されていたほか、同日午後一〇時一五分には、それまで観察されたことのない陣痛発作のような強い子宮収縮(二分毎の二五秒発作)と強い下腹部痛が観察されており、これらは、インドメタシンの子宮収縮抑制効果及び血中濃度の推移に照らして異常な反応と考えられる。

そうすると、これらの経過に引き続いて、同日午後一〇時二〇分に春子が息苦しいと起座呼吸となった時点で、これを知った曽田医師は、インドメタシンによるアスピリン喘息発作の発症を疑うべきであったといえ、直ちにエピネフィリン(ボスミン)皮下注射や気管内挿管を準備し、かつ、麻酔科医師への応援要請を行うべきであったと考えられる。そして、これらが実施されていたならば、高い確率で春子は救命されたものと推測される(《証拠略》によれば、エピネフィリン(ボスミン)が皮下注射されたのは、呼吸停止後一〇分経過した午後一〇時四〇分であり、また、麻酔科医師に応援要請がされたのは、春子が呼吸停止となった後の同日午後一〇時三二ないし三三分であり、麻酔科医師が気管内挿管による人工呼吸を開始したのは、同日午後一〇時三七分であった。)

(四)  以上によれば、曽田医師について、少なくとも次のとおりその過失を肯定せざるを得ない。

すなわち、曽田医師は、気管支喘息患者であった春子にインドメタシンを投与した場合には重篤なアスピリン喘息発作を惹起する可能性があったのであるから、<1>投与を検討する際に、春子が診療を受けていた同じ病院の内科医師の意見を求めるべきであったのに、これを怠り、<2>春子に、投与の危険性と必要性を説明してその同意を求め、かつ、自覚症状を報告させるべきであったのに、これらを怠り、<3>投与量を漸増させる方法をとるべきであったのにこれを怠り、<4>救急救命具の点検をすべきであるのにこれを怠り、<5>厳重な経過観察をせず、春子に現れた一月二四日午後一〇時二〇分の起座呼吸をアスピリン喘息発作であると認識すべきであったのにこれを見逃し、麻酔科医師の応援を至急依頼すべきであったのにこれが遅れるなどした点に過失を認めざるを得ない。

なお、鑑定人小林宏行は、インドメタシン投与後の経過観察に不適切な点はみられないともいうが、同鑑定人の補充意見書からも明らかなとおり、これは「危機管理に対する病棟における一般的準備体制」から見たものと解され、右判断と矛盾するものとはいえない(同鑑定人は、そもそも春子に対するインドメタシン投与は許容されないとの意見である。)。

また、被告は、曽田医師が産婦人科医師であることから、産婦人科医師を基準とした医療水準をもって過失の有無を検討すべきであり、産婦人科医師がアスピリン喘息の病態及び発作の重篤性を認識することは困難であった旨主張しているが、春子は切迫早産のみならず気管支喘息に対する治療をも対象に、その専門的治療を期待して総合病院たる群大病院に入院し、喘息専門医の治療も受けていたのであるから、曽田医師に期待されるべき注意義務の基準たる医療水準は、喘息専門医のいる国立大学付属病院たる総合病院の産婦人科医師としての医療水準というべきである。喘息専門医においては、当然、喘息患者の春子に対するインドメタシンの投与がアスピリン喘息発作を誘発する危険性を認識し得たし、産婦人科医師であっても、既に判示のように、喘息患者の一割はアスピリン喘息患者であり、インドメタシンによるアスピリン喘息発作については群大病院を始めとする複数の報告例があり、アスピリン喘息については医師国家試験に出題される状況であった上に、インテバン座薬の使用説明書にも喘息患者には慎重投与、アスピリン喘息患者には禁忌とされていたのであるから、喘息患者にインドメタシンを投与したときはアスピリン喘息発作の可能性を検討すべきであったと言わざるを得ず、その可能性を考えれば、内科医師の意見を求めるなどすることにより内科医師の専門的知見を獲得でき、投与の決断をするとしても、既に検討した色々な配慮ができたと思われ、右配慮がされていれば、本件の如き不幸な結果に至らなかったものと考えられる(曽田医師によるインテバン座薬投与の決定から現実の投与まで一時間以上の経過があったこと、群大病院が総合病院で内科医師の当直もあったと思われること等からすれば、曽田医師が内科医師の意見を聴取するのに困難があったとは考えられない。)。

(五)  以上によれば、被告の被用者である曽田医師が、被告の業務たる診療行為を行うに際し、過失により春子を死亡するに至らしめたものといえ、使用者である被告は、これにより春子に生じた損害の賠償義務を免れない。

四 損害(争点4)

1  逸失利益(請求額及び認容額四一五七万四四七二円)

《証拠略》によれば、春子の死亡前年の年収は三四二万〇七五二円と認められ、これを基に春子の逸失利益を算定すると、春子は死亡当時二七歳であり、六七歳に達するまでの間、少なくとも右年収相当の収入を得ることができたと推認されるから、右金額を基礎として、生活費控除を三〇パーセントとし、ライプニッツ方式(係数一七・一五九〇)により中間利息を控除する方法で四〇年間の逸失利益の現価を求めると、四一五七万四四七二円となる。

2  慰謝料(請求額三〇〇〇万円、認容額二五〇〇万円)

春子はいまだ二七歳と若かったこと、婚姻して間もないこと、出産を間近に控えた妊婦であり、本件事故により胎児も死亡する結果となったこと、その他、春子の病状、治療の経緯等、本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、春子の死亡による慰謝料は二五〇〇万円と認めるのが相当である。

3  葬儀費用(請求金額及び認容額一二〇万円)

《証拠略》によれば、本件と相当因果関係にある葬儀費用は一二〇万円と認めるのが相当である。

4  弁護士費用(請求額及び認容額七〇〇万円)

本件事案の内容、審理経過及び認容額、その他諸般の事情にかんがみると、原告の本件訴訟遂行に要した弁護士費用は、七〇〇万円をもって相当と認める。

第五 結論

以上によれば、原告の被告に対する本件不法行為(使用者責任)に基づく請求は、金七四七七万四四七二円及びこれに対する不法行為の後である訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成四年一〇月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

なお、被告の債務不履行責任を肯定できるとしても、これによる損害は右を超えることはないので、債務不履行の成否については判断しない。

また、本件事案に鑑み、仮執行免脱宣言を付することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田村洋三)

裁判官 板垣千里は転補につき、裁判官 後藤充隆は退官につき、いずれも署名押印することができない。

(裁判長裁判官 田村洋三)

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